いつの時代でも産業空洞化が問題になっていたかといえば、そうではないのです。枯れ衰え、縮小しつつある産業にかわって、新しい産業が興り、人びとの生活がそれによって支えられるのなら、産業空洞化という問題は生まれない。日本が高度成長をとげてくる過程は、基本的にはそうでした。多くの産業が衰退に向かいましたが、人びとは新しい産業に移っていくことができたので、産業空洞化問題はなかった。では、いまなぜ空洞化が問題になっているのか。理由の第1は、海外立地を進めて日本での生産と雇用を縮小しつつある産業は、けっして衰えつつある産業なのではないからです。自動車、家電など、いまも発展している産業、したがって関連産業もふくめて多くの雇用をつくり出している産業なので、その衝撃が大きいわけです。これらの産業は、いずれも製品の半分以上を輸出に回しているのですが、円高が進んできたため、日本国内で生産するのでは採算がとれず、海外で生産したほうが有利な状況になっています。なんせ今回の円高で、日本の製造工業の賃金は世界一の高さになっているのです。空洞化が懸念されるのは製造工業だけではありません。部品生産の中小企業はアジア−ニックスの追い上げで、農業は自由化で、空洞化が進みそう。でも既存の産業に穴が開いても新しい産業を興せば空洞は埋められます。興せるか。興せると、私は考えています。
クリントンの対外政策で留意したいのは、世界の警察官的役割を止め、主要国に相応の負担を肩替りしてもらう、というスタンスが強くみられる点です。これもまた国内経済の回復と表裏の関係にあります。つまりアメリカは、世界の警察官たる役割をやめることにより国防費のより多くの削減→例えば年間約3000億ドルの予算の半減、を断行し、これにより公共投資や教育投資を充実させアメリカの国際競争力を強化しよう、という狙いです。こうした“応分の負担”の主たる対象となるのは、日本とドイツです。特に日本に対しては、アジアにおける安全保障の肩替りを経済的負担の面から強く要求してくる公算が大きいとみられます。またクリントンは、国連機能を強化する一環として、日独を将来、国連安全保障理事会の常任理事国にするといっています。このことは、クリントンが日独の力を評価していることでもありますが、半面では“応分の負担”の狙いがあることも事実でしょう。おそらく1995年前後に、国連改組の一環として、この問題がクローズ・アップされるとみられます。その際には国連分担金の問題のみでなく、常設国連軍の創設、日本の自衛隊の編入といった、わが国の憲法問題に関わる問題が生じることになるかもしれません。
役員個人が法人にお金を貸した場合も、逆に役員個人が法人からお金を借りた場合も、法人と個人との間で金銭消費貸借契約書を作成する必要があります。役員個人が法人のお金を借りた場合、法人の会計処理では「役員貸付金」となり、役員個人から強制的に利息を計上することが要求されます。税法上も、「勝手に会社のお金を個人的に利用したら、それなりの負担をしてもらいますよ」と要求しているのです。また、その記録は会計帳簿にずっと引き継がれ、役員が借りたお金を法人に返済するまで決算書に残ります。そのため、銀行に融資を申し込んでも、決算書の内容を理由に断られることも十分に考えられます。また、第三者の株主がいる会社では、役員が私的な目的で勝手に法人のお金を使ったりした場合、法的に訴えられることもあり得るのです。このように、個人事業を法人化した場合には、役員個人が法人のお金を勝手に使うことはできなくなります。自由にお金の出し入れをしていた個人事業者にとっては、少々厳しく感じるかも知れません。お金の出し入れの不自由さだけを取り上げれば、法人化のデメリットとも言えます。しかし、逆に考えれば、法人と個人の資産を明確に区分できるということでもあります。その意味では、このことは法人化のデメリットではないかも知れません。